宴会

会武宴

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「会武宴」とは科挙制度の時、武挙の殿試の合格者名の発表後、兵部で行われる公宴のことである。『明史・李鉞伝』には、「中府官では会武宴があり、礼部では恩栄宴がある」と書かれている。武挙の殿試は、武挙の郷試とは異なり、鷹揚宴よりもさらに立派なもので、群英が集まった。

鹿鳴宴

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「鹿鳴宴」の起源は周王朝での賢人を賛美するための郷飲酒礼であるとされている。『礼記・郷飲酒礼』に関して、賈公彦が鄭(玄)の目録を引用してこういった、「諸侯の官僚たちは三年の競争で有能な方が君主の人材として選ばれる。君主は礼儀を以て優れた人材を賓客として接し、一緒に酒を飲む」。主な料理は鹿肉の宮廷料理であり、明の時代の皇帝が学生たちを招待するために開かれた宴会である。その目的は帝の寛大さと才能の重要性を示すためである。

探春宴

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「探春宴」とは唐代の開元から天宝にかけての女性たちの野宴のことである。『開元天宝遺事』によると、この宴は毎年旧暦正月十五日後の「立春」と「雨」の二節気の間で行われる。このとき万物が蘇り、高貴な家の女性たちが誘い合わせて、家族がテントや食器、酒器、食料品などを馬車に積んで郊外に出かける。

千叟宴

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「千叟宴」は、清帝康熙や乾隆など臣民を懐柔するために行われる大酒宴で、出席者が老人であることからこう呼ばれる。『康熙実録』には、「秦漢以降、即位者は百九十三人で、在位期間は長かったが朕のごとく長生きである者がいない」とあるが、これが「千叟宴」の趣旨である。

曲江宴

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「曲江宴」は唐代の進士合格者名が掲示された後の祝賀の宴会で、曲江亭で行われ、曲江会とも呼ばれる。皇帝や王公大臣も出席し、後には詩人が詩を賦する詩会に変わった。曲江宴は種類が豊富で、上巳節遊宴、進士遊宴、曲水宴、桜桃宴など風情に富んでいる。

鷹揚宴

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「鷹揚宴」は武挙の郷試の合格者掲示後、試験管と合格者が一緒に参加する宴会である。清の陳康祺は『郎潜紀聞』巻十一に、文官が『鹿鳴』を再び賦し、ジョーンリン宴に再び参加する者が、しばしば記されている。また鷹揚宴に再び赴くの典があるが、例案のある者は、十五年にわたって、陜西巡撫と朝邑武挙の藺延薦だけである。

瓊林宴

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「瓊林宴」は皇帝が新しい進士をもてなすために開いたもので、北宋の賜宴の場所が王家庭園のジョーンリン庭園にあったことから付けられた。時代によっては「聞喜県」「恩栄宴」という別名が付けられた。「奉勅新しく仕冠に入り、また軒陛に登って天願を望む」というのは、宋状元文天祥が『恩賜ジョーンリン宴恭和詩』の中で、ジョーンリン宴の盛況を描いた詩句である。